授かり婚、そして妊活を始めるまでの経緯

妊活日誌

こんにちわ。アラサー主婦のりあです。

今日は妊活を始めることになったきっかけとその経緯をお話できたらなと思います。

自己紹介:りあ(28歳) 当時付き合っていた彼(夫)との子どもを授かり結婚。

婚姻届を届出た翌週である妊娠12週、1回目の妊婦健診にて稽留流産と告げられる。

現在は妊活・不妊治療を行いながら夫婦2人で仲良く暮らしています。

将来産まれて来てくれる子どもたちに苦労させたくない思いで蓄財に奮闘中。

     

予想だにしなかった授かり婚

新卒で入社した会社のキャリアがようやく軌道に乗りはじめさあ!これからキャリアをどんどんステップアップして行くぞ!と意気込んでいたときその時付き合っていた彼(夫)との子を授かりました。

結婚もしていないのに子どもを授かった事に対して彼や家族や会社など周りは受け入れてくれるのか自分のキャリアは一体どうなってしまうのかと様々な不安に押しつぶされそうな日々を送ることになってしまいました。

それでも子どもを授かったことを今の夫に伝えた時いのいちばんに結婚しようと言ってくれました。

この時の夫の言葉には本当に身も心も救われた気がして今でも本当に感謝してもしきれないですね。

結婚の手続きも終わり悪阻も落ち着き初めた頃、一回目の妊婦健診で稽留流産と告げられる

妊娠をすると身体に起こるちょっとした症状でもすごく不安にかられたり、メンタルが崩壊しかけて夫を何度も困らせたり、何よりも毎日毎日悪阻が酷くてずっと船酔い状態が続き辛い日々でした。

そんな中でも両家への挨拶や結婚の手続きを済ませて無事、エコー検査で赤ちゃんの姿を確認し可愛らしい手や足もしっかり見えていました。

つわりも徐々に落ち着いてきた頃に母子手帳も役所にもらいにいき、自分の名前を表紙に書き込む時間。

とても幸せな時を過ごしていました。

ある日、一回目の妊婦健診 わくわくしながらどれくらい成長したかな?と思いながら診察台へ。

いつも通りのエコー検査だったはずが、カーテン越しに聞こえるクリニックの先生の「あれ…」という声。

この時に私はすぐ察しました。ダメだったんだ。

クリニックの先生から告げられたのは「稽留流産」。

そして、稽留流産ということは赤ちゃんの心拍はもうすでに止まっていて死んでしまっている状態であるにも関わらず、自然に排出されず子宮に残っているため中絶手術で行うような掻爬手術をして赤ちゃんを掻き出さないといけないということ。

その日から毎日、本当に毎日号泣しかしませんでした。

搔爬手術をするということは、子宮内に棒のようなものを入れて赤ちゃんをぐちゃぐちゃにしながら掻き出さないといけないということです。

そしてその行為は子宮内を傷つけてしまうおそれがあり今後の妊娠可能性にも影響があるということも涙ながらにネットで検索魔になって情報収集しました。

   

その時は悲しみで正常な判断力や理解力を失っていましたが、今考えると搔爬手術って母体にとってはリスクが高い手段だなぁと思います。

もちろん、稽留流産の場合は自力では子宮収縮が起こらず、赤ちゃんが自然と外に排出されないのでそのような手術をしないと次へ進めませんので致し方ないことだったのですが、、、。

   

身体もメンタルもめちゃくちゃ。妊婦さんも小さな子どもも直視出来なかった日々

稽留流産だったため通常であれば掻爬手術をしなければならなかったのですが、掻爬手術予定日に日付が変わったころ夜中に自然流産が起こりました。

自然流産も立派な出産の一つ。

とても悲しい出産の経験になってしまいましたがそれでも自分の力で外に出てきてくれた赤ちゃんにたくさんのありがとうを伝え感謝してさよならをしました。

自身の中でようやく母になるということを自覚し始めていた頃なので悲しさも悔しさもそれはそれはもうとても大きなもので、、、。

悲しみに明け暮れながら私の心の中では「子どもが欲しい」という気持ちが更に大きくなりました。

それと同時に 、街中ですれ違う妊婦さんや小さな子どもを見て赤ちゃんを授かっていない自分と勝手に比較し悲しくなる、そんなひねくれた自分が育っていきました。

なんであの人は妊娠を継続できているんだろう、なんで私は流産してしまったんだろう。

そんな答えのないことばかり考えて卑屈になっていきました。

   

今でこそ、そんな時期もあったなぁと夫と笑い話にできますがその頃は毎日が地獄のように感じられました。ざっと半年は立ち直れていなかったと思います。

  

順調に育っていてくれれば、今日が出産予定日だったな。という日は私にとってとても特別な日でした。今でも出産予定日の日にちになると悲しくて行き場のない後悔を感じます・

ですが、この出産予定日を境に私は、区切りをつけて前を向かなければいけないと感じ始めました。

夫は一緒に頑張ろうと私が前を向くようにいつも励ましてくれた

自然流産後の体調もようやく本調子に戻り始めた3ヶ月後、

授かり婚だったけれどこのまま次の赤ちゃんを授かる事無く

夫婦2人で生きていくのかもしれない、それでも君がいてくれるだけで自分は幸せだ。

と言ってくれた夫。

とても嬉しくて本当にこの人と結婚してよかったと改めて実感しました。

と同時にやっぱり夫をパパにしてあげたい!と強く思うようになりました。

私もママになりたい、あなたをパパにしてあげたい。

その事を改めてしっかり夫に伝えると、一緒に妊活を頑張ろうと夫の方から前向きな言葉を貰い、心がすうっと軽くなったことを今でも覚えています。

一度妊娠をしているのでまずはクリニックに行かずに自分たちで方法を模索しながら自己流妊活を始めることになりました。

   

     

   

流産をして幸せの絶頂からどん底に落とされて、もう二度と立ち直れないんじゃないかと思う日も多々ありました。

それでも、間違いなく、時間や周りに支えてくれる人たちが少しずつ傷を癒してくれます。

傷を負ってすぐは自分から前を向こうと頑張らなくてもいいと私は思います。

ですが、そのマイナスな感情を持ち続けて過ごすことを必ずしも赤ちゃんは望んでいないと思います。

いつかまた、可愛い赤ちゃんを授かる日のために、積極的でなくてもいい、1日1ミリ単位でも少しずつでも前を向いていけばいいのではないかなと思います。

  

私のように授かり婚で結婚したのに赤ちゃんを流産してしまい、そしてなかなか授かれない方って、みんな積極的に言わないだけで周りに居たりするんじゃないかなと思います。

   

なんで私だけこんな酷い運命に?と思っている方がもしいらっしゃるとすれば、

その方にそっと寄り添ってあげれる、そんな場所になればいいなと思って

これから妊活のことや不妊治療、流産の経験談などをこのブログでお伝えできればなと考えています。

   

  

今日はこの辺りで。ありがとうございました。

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